令和6年能登半島地震に際しまして [2024.9.9]

令和6年能登半島地震において亡くなられた方へ、謹んでご冥福をお祈りいたします。
また、未だ安否不明の皆様が1日も早く無事に戻られますよう、お祈り申し上げます。

元日の能登半島地震より早くも8ヶ月という時間が過ぎ、季節は秋を迎えようとしています。輪島市内では各所で倒壊家屋の公費解体が行われていますが、進捗率はわずか6%と、まだまだ復旧には長い時間がかかりそうです。

今回の地震に際して、たいへん多くの皆様から暖かいご心配、お見舞いのメッセージを頂戴し、また、身に余るほどのご支援も頂きました。この場をお借りして、心より御礼申し上げます。

地震の後、私たちが何より多く心に感じ、また皆で口にした言葉は「感謝」だったように思います。
災害がきっかけとはいえ、皆様からの大きなご支援とお気遣いを賜り、暖かなお心に触れる機会を得たことは、私たちにとって忘れ難い貴重な経験となりました。そして、これは私たちがこれまで何より大切にしてきた 「ご報恩」の念を一層深める契機となりました。

今回の震災では、大切な人を亡くされた方も大勢おられます。そんな方たちの悲しみや辛さにも常に心を寄せながら、今回いただいたご縁を心に留めて、1日も早くこの深いご恩に報いることができるように、これからも更なる精進を重ねてまいります。

建物の損壊により本社ショールームの再開は当分未定ですが、オンラインショップは9月より少量ながら再開いたしました。引き続きのご愛顧を賜れましたら幸いです。また、工房では地震により2名の職人が離れましたが、この9月に1名の新弟子が入社いたしました。当分は手狭な臨時作業場での不便な生産体制となりますが、将来に向けて立て直しを進めていきたいと考えております。

能登地域全体で復旧が大きく遅れておりまだ先は見通せませんが、社員一同力を合わせて、少しづつ復興を目指してしていきたいと考えております。どうかこの先もご支援のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。

2024年9月9日
株式会社 輪島屋善仁

漆芸の歴史と輪島屋善仁の理念

漆芸は日本古来の工芸文化です。その歴史は9,000年前の縄文早期に遡ります。漆の底知れぬ深いツヤに果てることの無い宇宙感を抱いた縄文人が、心の道具としてスタートさせたのが始まりです。

以後、漆器は魂のこもる器として神仏を荘厳し、日本人の精神形成に深く関わってきました。中世には漆器が大衆化し、日本人の食器は大半が漆器となり、土器食器が消滅する地域もありました。16世紀末にヨーロッパに紹介された漆芸は、現地の美術、工芸にも大きな影響を与えました。

今日、明治初めと比べても日本産漆の生産量は激減しています。一般に生活環境の変化が衰退原因の第一とされていますが、漆器製作の現場に漆の本質を追究して現代に投影する精進が足らないのでは、と小社は考えています。現代のものづくりが、過去と比べて見劣りするようでは未来はありません。漆芸は日本だけではなく人類の財産ととらえ、時代を超えて日本漆芸史上最良のものづくりを目指すのが輪島屋善仁のテーマです。


輪島屋善仁は江戸・文化年間(1813年)創業。以来200余年、職人は「人格崇高たるべし」との家訓のもと、技術と感性の向上を求める風土を育んできました。1984年には日本初の漆芸専門デザイン会社を設立し、新たな漆の美の創造をめざしました。また最上の日本産漆を求め、1997年より岩手県浄法寺で日本最大の漆の森づくりを行っています。

最良の器は、精緻な技を持つ名人・名工の分業のリレーにより誕生します。名品はそれらを取り締まる漆芸プロデューサーの審美眼、理念、文化力によって決まります。輪島屋善仁は当主自らが漆芸プロデューサーとして、素材、技術、意匠を監督することによって一貫した理念を製品に反映するよう努めています。

 

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